00001 名前をつけないことについて

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日記を書き始めてみることにした。対して面白いことを書くわけではない。一応人に見せられるレベルのものを書くつもりだが、それもできなくなれば数行で終わるような日記が続くことになるかもしれない。カクヨムでもエッセイじみたことをしていたが、それも続けることができなかった。面白さを保証することができない。
考えていることをつらつら書くだけの日記になると思う。よくTwitterでは、頭の中で考えが巡り続けて苦しんでいて他の人はそうではないのか? と疑問を投げかける投稿がバズっている。そして共感者がたくさん現れている。私は逆で、頭の中がいつも空っぽでよほど力を入れないと思考が始まらない。人がものを考えた時間を年齢とするならば、私は同年代よりも半分かもっと下の年齢にしか達していないと思っている。
ただ、文章として考えを目の前にタイピングしてみると、思考が思考を読んでものを考えることができるようになるので、ときどき何もすることがないときはこうして思考をタイピングして脳を回転させている。しかし誰にも見せないことが前提の文章だと、意味の無い言葉の羅列や汚言症のようなことになってしまうので、公開前提で書くことにしてみた。それがこの日記である。
もしかしたらこれの上位版(上位、が何を意味するのかは分からないが)が出るかもしれないし、逆にこれの下位版がでるかもしれないから、B日記としておくことにする。手の込んだ名前をつけるのは難しいからやらないことにした。名前をつけない、番号を振るだけ、というのは日常生活でも時々やっている。
私は日常のことを記録するためのノートとメモを取るためだけの小さい紙を持ち歩いているが、それもノートA、ノートBと読んでいる。○○ノート、という名前を考えるとそれだけで書くことが制限されてしまいそうなのだ。というか実際に制限されてしまって、途中まで使ってそれ以上そのテーマで書けなくなって放置されている使いかけノートが山ほど部屋の隅に溜まっている。名前をつけてしまっているから、他のノートとして再利用することもできない。やろうと思えば可能だが精神的にだめなのだ。そうした残骸の山から得た教訓として、名前をつけない、テーマを決めないことにした。この日記はB日記である。何の意味もテーマも方向性も無くて心地が良い。
改行したときは一字開けたほうがいいのだろうか。しばらく開けずに書いてみようと思う。タイトルを日付にしようと思ったのだが、日付にすると1日1投稿に縛られる感じがするのでこれもやめて連番にしておくことにしよう。